言葉なんておもちゃなのです。
お金はそれ自体では、スクラッチカードを削る時とMacBookのバッテリーを取り外す時くらいしか使えなくて、モノと交換したり、何かを見たり乗ったりやったりする権利と交換したりするための便宜的なものでしかない。
お金で買える物はだいたい分かりやすい。お金はそれ自体はなんの役にも立たないっていうことだけ分かっていれば、それほど罪深くない。それに、お金は悪人顔をしているので、そんなにだまされない。
それに比べて言葉は、お金と違ってちょっと真実チックなんだよな。善人顔をしている。
でもね、言葉というのは、モノや気持ちやそのほか世界にあるあらゆるものに、便宜的に付けた名前でしかないのです。まったくもって信用ならないあやふやなものなのです。
お金はなにが幾らときちんと数値で決まっている。ところが言葉は、どこからどこまでがなんという言葉なのか、きちんと決まっていない。
「母」、これは自分の産みの親を差したり、銀座の占い師を差したり、大地や海を指すこともある。とらえどころがない。
「愛」、これは母が子どもに抱く感情を差したり、ナウシカと王蟲の間にある絆を差したり、たまにうっかり男の性欲や女のドロドロしたエゴを差すこともある。得体が知れない。
つい弾みで出た言葉が、本当に伝えたかったこととほんのすこしズレていたばっかりに、本当に言いたかったこととはまったく見当違いに伝わってまうということはよくある。
だいたい、慎重に慎重を重ねていいたいことをバッチリ言葉に変換して伝えたぜ!という場合においてさえも、言葉の定義というのは人によって微妙に違うので、バッチリそのまま伝わる可能性は低い。
言葉はただの言葉です。とても信用できるものではないし、扱いのややこしい、いっそないほうがいいかもしれないようなものです。
それなのに、わたしたちのまわりにまつわりつく言葉、言葉、言葉。
だからいっそ、そんな言葉たちがウソでも本当でも、どっちでもいいことにすればいい。ああ、ヘンテコなものが飛び交ってるなと思って、おもしろがってやればいい。おもちゃみたいに使ってやればいい。
そのほうが、核心に近づけるような気がするのです。そのほうが、本当のことを伝えられるような気がするのです。
言葉はおもちゃ。そんくらいがちょうどいい。
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