におうTシャツ


洗いたてのTシャツを来たらかずのりくさい。多少トクした気分。

5年半付き合ってて、もう遠距離の時間の方が長くなっちゃった。
引っ越してきた時は、いつ終わってもまあしょうがないや執着もないしと思ってたけど(いや大好きなんだけど、固執はしてなかったというか。えと、自分の人生曲げなきゃ成り立たない関係ならしょうがないよねっていう‥‥)、時を重ねるというのは怖いもんで、最近、感謝の念といいますか、愛情といいますか、積年の情け(?)がしみじみと感じられるわけです。

たまにしか会えない恋愛をしてよかったなあ。そうでなければうまくいってた自信まるでない。

でも彼のほうはちょっと苦労してるのかなあ。悪いなあ。わたしばっり好きにさせてもらっちゃって。

しかし洗いたてなのにしっかり残ってる、におい。なんでかなあ。

今年の反省


今年はおおむね完璧だったからなー。

  • まあモテたし
  • それなりにかわいくしてたし
  • 病欠もしなかった!
  • 旅もしたな、被災地見学。ボラツアにも参加した
  • 貯金はできなかったけど、マイナスにはブレーキかけた。つか、去年のオレ、絶賛大赤字だだもれ状態のくせになにが100万貯金だコノヤロウ
  • 厄年のことすっかり忘れてたな。無病息災ありがとう神様
  • そいえば今年は肉体労働も楽しんでいる!
  • 休みが減って忙しすぎる日常にも慣れた
  • 鬱状態もほぼ発症せず
  • おかげで太ってしまった
  • 忙しがってたらピアノとジョグやらなくなったな
  • あ、でもジョグを始めたのも今年。それはかなりおもしろい試みだったぜオレ、ぐっじょぶオレ。続けよオレ
  • ちゃんと納税もはじめた、まあ不本意ではあるが
  • だから弦楽器とか始める余裕はありませんでした
  • 住民票もちゃんと今のとこにしちゃった
  • あ、今の部屋に異動になったのも今年。寂しいこともいろいろあったが、結果的に、トータル的には、よかったんじゃないかな。今の部屋で得たものも大きい。というか森ガールと仲良くなったのはまじでかい。見習いたい感じのすてきな先輩が隣にいるというのは大変ありがたいことです

ま、太ったのは、一旦いいことにしよう。
それより心健康になったのが大事。
微調整はこれからこれから。

住民票ちゃんとしたり納税したりしているからには、ちゃんと選挙に行ったり考えたり声を上げたりすることもしたほうがいいのかなあ。声を上げるのはひとまずおいといて、ちゃんと選挙くらいは行くようにしよう。

あと、引き続き、自分の意見を伝える心がけをしていこう。下手なりに。
あと、具体策は分からないけど、受け身スタンスもう少し解除して、いいなと思ったら自分から行こう。でもなー「ここは自分から行こう」って意識すると行けなくなるんだよなー。でももったいないよなー。

ちなみに、去年の書き初めがこれ↓

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mixi日記にアップしてた記事を抜粋しますと、

2011年、明けましておめでとうございます。

寒いですね。
私は年末に2回風邪引きましたが、みなさまお元気ですか?

毎年抱負めいたことを書くんですが、今年はぱりっとしたこと思いつかないので、先日の書き初め大会の全作品をアップします。
(かずのりの作品もまじってます。)

今年は不良になりたいです。
なんか食いっぱぐれるのが恐くて日々よい子でいるんだが、非常にきゅうくつです。

それでは、本年もよろしくお願いいたします。

だそうです。

写真撮ってもらった


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写真をとってもらった。
カメラマンさんはこれが一眼レフデビュー。ネガフィルム一本目。

枚数決まってるからシャッター押すのをもったいながってた。そういうの楽しそうだな!いいな!わたしもカメラ持ち歩こう!

紙焼きなんて、10年ぶりくらい。

アルバム買わなきゃふんふん♪

奈良つれてってもらった。


のりこからの「鎌倉もいいけど、奈良行こう」という提案を受け、日帰り奈良旅行に連れてってもらった。夕刊に薬師寺東塔の記事が出ていて、行きたくなったんだそうだ。写経もしたいんだそうだ。

土曜日の夕方に静岡から東京へ遊びに来たのりこ。夜、のんだくれのおじさんとのんだくれて、翌朝ふたたび新幹線に。

せんと君と

ピュッと京都まで行ってせんと君と写真を撮り。

薬師寺の蓮

ものすごい真夏陽気の薬師寺に到着。

もう蓮の季節。蓮、大好き。(俵屋の廊下にすっと咲いてた蓮が思い出深い。あれも夏で、「京都で蓮を見る」というのが大きな目的の一つだったな。蓮を見に京都へ行き、俵屋に泊まったんだったな。すごい贅沢な人生のひとこまだな。)

写経

さっそく写経した。

この文字列の中に「御誕生日御目出度宇」をまぎれさせて、この日お誕生日だった人に写メしたいと思ったけど、のりこに「恐い」って言われたのと、写経代がのりこのおごりだったので自粛した。おもしろいと思うんだけど。

こだわっちゃいけないとかかたよっちゃいけないとか、あれこれ偉そうなこと書いてあるくせに、最後にお願い事を書く欄があった。なんか思想と真逆ーとか思った。

わたしには今、お願い事がないらしい。成し遂げたいこともないし、病気もケガもあるがままでいい。でも空欄にもしにくかったので、ものすごく考えて「親より長生き」と書いた。早く死んじゃってもしょうがないけどさ。まあできれば。神頼みくらいしかできることないしな。

ちなみに、写経後母にこの写真をメールしたら、写真の文字が読み取れない旨と休耕田に除草剤をまいたら大量のメダカが死んじゃった報告をしたためたメールが返ってきた。こういう母に、愛娘に先立たれる苦しみを味わわせちゃいけない。

それから薬師寺のあれこれをぐるぐるして、噂の東塔を拝観して。

東塔

東塔

それから暑さにへばったり険悪になったりした末、奈良公園へ。

奈良公園のシカ

東大寺

シカと五重塔は10年ぶり。南大門と東大寺と大仏は23年ぶり。23年前の記憶はうっすいけど、10年前の記憶は濃い。自覚的に生きるって大事だ。

奈良駅の、大通り一本入った商店街がおもしろかった。どのお店も細長くて、観光地というより地元の人の商店街という感じだった。

それから、来しなに電車から見えた平城京へ。

大極殿

朱雀門

10年前はただの空き地だったのに、忽然と平城京が現れていた。だだっぴろい。

ここがいちばん印象的だなー。あと古墳。あのへんな集落。なんで古墳周りに密集するように民家があったんだろう。平城京の中や表側じゃなくて裏手に。土地はいっぱい余っているようだったのに。

平常天皇陵

古墳や平城京をジョグコースにしている人たちを見て、江戸城走って満足してるようじゃ若いな、と思いました。

奈良は、直線的で朴訥。空が広くて風と山がある。色気がない。いなかすぎて寂しいけど、歴史が深すぎて恐いけど、深く息ができるいい場所だなと思った。奈良をいいと思ったの初めてだなー。

京都は女くさい。色気がぷんぷん。都会的で息が深くできる感じではないな。でもわたし、あの色気、陰と陽のコントラストの強さは大好き。

奈良は、五重塔の下にいたおじさんがいちばん残念だった。多分県かなんかの職員。

五重塔残念ver.

撮ってあげましょうかって、人が位置も角度も焦点位置もシャッタースピードも決めてのりこに託したカメラを横取りして撮ったこの写真ひどすぎる。カメラの位置とか構図とかかえちゃったからすべてめちゃくちゃ。シカと五重塔とわたしの記念写真を撮りたかったのに。ひどい。

日帰り移動距離、今までで最高記録でした。

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めくるめく週末をすごしてしまったので、さっそくコンテンツの週一更新ができなかった。今週は忙しそうだから諦めます。週末書こうと思います。

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一人暮らしでも、わたしはこのうちの主婦です。

お誕生日の日記がこれじゃあ寂しいな。いろいろあった一日だった。書いてみます。

わたしは、東京が大好きで、この部屋が大好き。毎日一人で暮らしています。一人で起きてテレビ見て、仕事に出かけて帰ってきて、一人分の料理を作ってテレビ見て、一人でセミダブルのベッドに寝る暮らしです。

ベッドの中で、ときどきすごく贅沢な気分になる。ときどきすこし寂しくなるときは、テレビを付けてるときが多いかな。

今夜は、遅い時間にちょっと寂しい気分で仕事から帰ってきたら、郵便受けに贈り物がありました。
漠とした寂しさに泣くほどでもなく携帯を眺めていたら、おめでとうの電話が。
遠くの恋人からのうれしいメールも。

泣くほどでもなかったのに、泣けた。

こんなに自分勝手で、やさしくなく、赤子のような大人子どもを愛してくれる人が、少しいます。どうしてって不思議に思うけど、ありがとうとも思う。そういう人がいるからわたしはなんとかまっとうに、寄り道しつつも楽しく、そこそこ健やかに、生きていられます。ありがとう。

ちょっと前までは、愛してくれる人に「ありがとう」なんて不遜な言葉だと感じてた。こっちが同じ温度で愛していないのに、受け取るだけで、ただニコニコ「ありがとう」なんて。

でも今はすこし変わった。「ありがとう」というだけで、ただ受け取るだけからすこし進んだ関係性になってる。「ありがとう」という気持ちが生まれていれば、それで十分関係性を結べてる。この関係性が時間を重ねると、いつの間にかとても大切な人になっていたりする。

最初は仕事だったと思う。「自分になにが合っているか」「なにがしたいか」を考えすぎてよく分からなくなって、自分を少しでも必要としてくれるほうへ流されてみようとしはじめたのが、2年も前じゃない。つい最近。自分を見いだしてくれるところにいるというのは有意義なことです。

こういう感覚を、最近、プライベートな人間関係でも持つようになってきました。

「ありがとう」の相手が、以前はとても軽いものだった。そんな失礼な関係は長く続けちゃいけないとさえ思った。でも、自分から全力でおもしろがれる出会いや刺激なんてめったにないし、それだけで突き進むと大事なものを失ってしまうことがあって、その恐ろしさは、経験を重ねればいやでも気付く。

愛してくれる人や場所は、自分にとって大事なものだと分かってきた。そうやって、わたしは大人になってしまった。みんなそうやって大人になってしまう。

大人はおもしろい出会いや刺激だけで猛進することができない。

このことが、ずっとジレンマだった。感性が鈍くなったと思った。自分の価値がなんにもなくなったような気にもなった。突き進めることが自分の持ち味だと思っていたのかもしれない。

でも、刺激だけじゃ猛進できない大人の生き方は悪くない。自分では気づけないほど心の奥底の方に、満ち足りた幸せがある。当たり前のようにあるけど、失いうる大切なものだと、今は分かる。

それを分かっているということがいつか、大人の強さ、やさしさになるんだろうな。

34歳にして改めて言うには恥ずかしいことのようだけど、これをもってお誕生日の日記とさせていただきます。