吉原にドキドキ


ブラタモリの吉原の回を見た。

ドキドキするー。
なにこのアドレナリン。
遊廓大好き。

客を振るのは吉原だけだったってほんとかなー。
ほんとかもなー。

今でも、吉原の嬢になることにあこがれて、地方から働きに来る女性がいるらしい。
その感覚、わたしには全然分からなかったけど。
江戸時代の「吉原」ブランドが未だに残ってるんだろうなーどっかに。

わたしはもし江戸時代にそういう仕事してたとしても、やっぱトップクラスの花魁とかにはなりたいとか思わないんだろうなー。
かといってドブ沿いの鉄砲女郎とか夜鷹とかになるでもなく、二流か三流くらいの、半まがきくらいの店で、売り上げもやっぱりトップではなく、でも中の上くらいで、最終的にはうまいこと娑婆に出る、みたいな。

今の吉原も何度か歩いたし、昔の吉原のこともよく勉強したけど、町の景色があんま思い描けないでいたので、ブラタモリのCGはかなり目からうろこだった。

どうしてこういう世界が好きなのか。
仕事したから好きなのか、好きだから仕事したのか。
やっぱり未だにふしぎだ。

夜のうざうざ日記


一人で生きてゆける強さと、一人じゃ生きてゆけないかわいさを、両方バランス良く持ち合わせたいわけです。

今すごくかわいくありたい欲求が、モテたい欲求が高まっているのは、寂しいからとかそういうことですか。そんなつもりはないんだけど。

だってじゃあモテたい期前は寂しくなかったのかと言ったら、むしろモテたい期以前のほうが寂しかったもの。寂しさにたまにのまれていたもの。

今のこの部屋の散らかり具合が、他人を意識してない自分の気持ちよさのちょうどいいところで、モテ的にはもう少し片づけたいところだけどそうでないところがリアルで、おれは好きだ、この部屋が。

もう6時間も眠れない。今日は寝不足だったのに。明日も寝不足だ。

結局睡眠薬を飲んだ。

薬やめたい。喘息の薬も、ないとまだ困る。でも病院へ行くお金(喘息のもろもろと睡眠薬をたっぷり蓄えるためのお金)はないよ。もうお金がないよ。

♪ 都会ではー自殺するー若者がー増えているー
  けれどもー問題はー今日の雨ー傘がないー

お金がないくらいで自殺なんかしない。自殺するのは人が多すぎるから。自分の命の大事さも分からなくなっちゃうくらい、人が多すぎるんだ。都会には。

でもお金どうしよう。こんなにないの、10年ぶり。でも10年前の暮らしには戻れない。家賃も倍だし。この部屋を愛しているし。つか引っ越し資金ないし。

どーしよー。都合のいい仕事ってないよなー。
体売るなら、会社勤めしてても会社がバイト禁止でも大丈夫だよなー。そもそも税金とかかからないシステムだもんなー。夜とか週末のほうが客も来るし。勤め人相手つーことはケチな客層てことでもあるけど。
みたいなことをこないだ言ったら「しみついてるねえ」ってつっこまれた。
保育は夜も日祝も仕事がない。

保育士の免許があって待機児童がいっぱいいても、マッチングが難しい。だってあんな薄給で生きていけないよ。やりたかったら趣味でやるしかないよ。でも勤めてると仕事がない。

学童やりたいなー。

とりあえず、マットウにまじめにバカ正直に生きるのはムリ。やめた。

自己啓発セミナーと売春


「こんなデータ処理仕事、うち帰ってテレビ見ながらやればいいや」って帰ってきたけど、なんでかできない。や、今から2時間くらいやればいいんだけど、明日自己啓発セミナー(会社命令の強制参加)で朝早いし寝なきゃ、と思ってる。

他人に指摘される前に、自分で気付いてるダメをなんとかすべきだし、そうやって生きてきた。他人にとやかく言われたいときは、的確なとやかくを言ってくれそうな人にちゃんと甘えてきた。

大事なのは、必要なときに必要なことに気付こうとすること、そのために動くこと、気付いたら時間をかけてもちゃんと正面から受け取ること。

なんの信頼関係もない人にお金を払って教えてもらおうなんて、浅はかにもほどがある。あまりにもいろいろなことがもったいない。時間も心も脳みそももったいない。わたしという人間がもったいない。

そして、そんな浅はかな人間を食い物にしている自己啓発セミナー会社のその汚さが許せない。その汚さに触れることに我慢がならない。どうせ触れるなら、どこの誰だか分からないスケベなクソジジイの肌や粘膜に触れてお金をもらう売春のほうが、よっぽどマシ。というか、比べものにならない。

わたし、自己啓発セミナーを受けることが、売春するよりイヤなんだ。

売春の汚さは赦せる。いとおしいくらいだ。
正直、わたしは売春に汚さは感じてない。世の中がそう扱うから例に出したけど、売春は汚くない。売春の悪いところと言ったら、売春・買春によって大切な人を苦しめることや裏切ること、自分や他人に対して一時的にうそつくこと、体に無理させることくらいだ。心にうそつくのは、自分を粗末にすることでもあるから。

それに比べて、自己啓発セミナーは汚い。あまりにも汚い。憎しみしか感じられない。

わたしは、汚いと分かっていてあえて手を下す汚い人間が、組織が、大嫌いだ。そういうものがこの世に山盛り存在すること、むしろ存在するあらゆるものの半分が汚いということを知っている。でもほとんどは、しょうがなく、それしか道がなく、汚いのだ。それは美しさの裏返しだ。

でも、人のパニックに乗じてオレオレ詐欺をする人は汚い。きっと自分がなにしてるか分かってないんだろうけど。

経営が火の車の中小企業を食い物に自己啓発セミナーをする商売は汚い。自分がなにしてるか分かってやってる。お金、あるいはお金を中心にしか動けなくなった社会が生んだ悪魔だ。

だますのもだまされるのも、勝手にやっていればいい。でも、わたしには指一本触れるな。わたしにはその穢さが赦せない。

『華より花』


華より花
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今年5月末に亡くなった、最後の「吉原芸者」みな子さんの自伝本。

吉原芸者というものを知らなかったので、おもしろかった。
「芸者」ってもともと、吉原芸者のことなんだそう。

わたしが遊廓に興味をもつようになったきっかけは『さゆり』という小説で、あれを読んであこがれて、着付けを習ったりもした。向島芸者になろうと考えたこともあった。(お酒飲めないのと、体張るのがもういやになっていた時期だったのとで、諦めたけど。)

さゆりは、京都祇園の芸妓。やっぱり戦前くらいのはなし。芸事もすごくがんばっていたけど、やっぱり体も売っていた。芸妓という仕事はそれ込みだった。毎日とっかえひっかえみたいなやりかたではなく、「旦那」につく制度だったとしても。

一方、みな子さんは吉原芸者。吉原には花魁という、それ専門の人がいるので、芸者は体を売らない。頑なに売らなかったようだ。売らないことを誇りとしていた。

なので、この本では、体を売る仕事周辺についてはほとんどなにも書かれていない。吉原では、芸者と花魁はほとんど口をきくこともなかったようだ。

吉原芸者という人たちがいたというのはとても興味深いことだし、芸の世界って憧れる気持ちもある。けど、わたしはやっぱり、体を売るという仕事、そしてそういう仕事に従事している女性に心惹かれる。

そういえば、京都の揚屋建築で今博物館になっている角屋の主人(館長)が、「吉原には歌舞練場がないが、島原にはあった」と言って、「吉原の花魁が売っていたのは体だけだが、島原の花魁が売っていたのは芸だ」と主張していたのが、印象深い。

つまり、島原の花魁が体と芸を両方売っていたのに対し、吉原では、芸は芸者、体は花魁というふうに、役割を分けて売っていたわけだ。

役割を分けていたというのは、他の場所では聞いたことがない。あの館長さんは、吉原芸者のことを知らなかったかもしれないな。

けど、格や歴史、システムがどうであれ、花街も遊廓も、売っていたものは同じだ。

体を売るにも芸を売るにも、プロ意識、技術をより高めようとする意識は必要。こういう仕事では、他の仕事よりもプロ意識が重要。なぜなら、それがないと、ただの肉人形になってしまうから。自分を蔑むしかなくなるから。

だからどこでも意地を張り合って「うちが本物」ってなことをいうのかもしれないなあ。

プロ意識は、人に主張するものではない。胸の内にひっそりと、しっかりと、しまっておくもの。それがしっかり持てていれば、意地は張らなくてもいられると思う。

渋谷


今日、仕事でちょっと渋谷を歩いた。
ものすごく人が多くて宣伝の音や車の音がうるさくて、窮屈なのに、解放感に浸れる。あの都心特有の雰囲気は、嫌いのつもりだけど、好きなのかもしれない。酔う。

ここなら体売ってもいっかって気分になるよな。

って何度も反芻した。

都会の解放感のせいでいい加減な人間になってしまう、ということではない。セックスとかそれにまつわるサービスを提供してお金を得るという仕事が、あそこでは受け容れられてるように感じる。

土地には血があると思う。いや、ないだろうけど、そう感じるくらい、土地って長いこと脈々となにかを受け継ぐ。少なくとも、人間の寿命よりはずっと長く、なにかを受け継ぐ。

そういう「なにか」の中に、上記職業意識も含まれていて、渋谷とか新宿とかって、そういうことを許容している気がする。

10年くらい前、わたしは新宿が嫌いだった(今でも嫌い)んだけど、ある人が新宿を好きだと言っていて「なんで?」って聞いたら「なんでもありだから」って言ってて、その時は分からなかった。だってきれいさとか安心感とか静けさとかいう、わたしの好きな要素はないから。でも、「なんでもあり」ってそういうことじゃなくて、人の逸脱を許すキャパみたいなことだったんだろうな。分からないけど、多分。

「思い切ってはみ出したところでほんとに面白いもの見つけられて、そこから戻ってやっと当たり前も面白く思える。両方ないとバランス狂う。」

これは、渋谷でツイートしようとして電波不良でツイートされなかったつぶやき。