あきた


おかっぱあたまのデザインあきた。
ブログにあきたのかも。

はばのせまい、ひらがなの多い、シンプルな、かるいブログにしたい。

なんであんなに楽しく書けていたんだろう。
なんでつまんなくなっちゃったんだろう。

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妄想するひまがなくなった。
あとmixiがつまらなくなったことに付随する、わたしを囲むネット環境の雰囲気の変化。

両方とも、もうもとにもどせない。

や、妄想はたぶん、生活環境変えたら改善させられる。

時間とか実在感とか


らしくもなく、「もっと時間があればいいのに」などと思ったりしている今日この頃である。

さっき、人生で二人目に出会った超人から、メールの返信をもらって思った。
時間は、超人にも天才にも凡人にも変人にも狂人にも、平等なんだな、と。
超人は、人の何倍ものことができたり、したかったりするのに、わたしと同じ、24時間365日の中でやりくりしてるんだな、と。

ちょっと前まで、もっと時間が少なければいいのにと思って暮らしていた。
朝起きて、一日が、まだ丸一日残っているというのがいやだった。
それで昼頃起き出して、ぐだぐだ時間を潰して過ごし、眠れない夜をやっぱりぐだぐだ過ごした。

まあ実際は、ぐだぐだの中でもそれなりになんかやってたんだけど、全体的にわたしの暮らしを包んでいた感覚が「もっと時間が少なければいいのに」だった。時間がありあまって腐っていた。

最近は、時間があったら、あれとこれとそれとどれをやりたい!って思う。
でも実際時間ができると、あれもこれもそれもどれもやらないで、新しく思いついた別のことをやっちゃったりするんだよね。部屋の模様替えとか。

とにかく明日は、図書館の日にする。まじで、たのむ。

  • 試験でやるおはなしを決める。
  • 読みかけでずるずるしてる文庫を読み切る。
  • ものすごく分厚い歌詞カード&解説(オペラの)をちゃんと読んでCDごと返却する。

しかし、時間の貧乏性にはなりたくないな。浪費家にもなりたくないけど。

忙しさで気を張り詰めていると、忙しさが消えたとき、ちょっと精神バランス崩すよね。そういうの恐い。自分を見失う、みたいな感覚って苦手。とりとめもなくさみしがる人間に戻ってしまうのが恐い。ちまちま築いた砂の城が一気に崩壊するみたいな気がして恐い。

自分の実在感のメインを、自分以外の人間に求めちゃいけないと昔学んだ。同時に、仕事にならそこそこ求めてもいいと。でも、人間ほどではないけど、仕事も、わたしの都合とは関係なくあったりなかったりする。

なくなるかもしれない、思い通りにならないものに、凭りかかるのは恐い。

勉強っていいよな。思い通りになる。だれも裏切らない、だれにも裏切られない。

あ、あと、こういう駄文を書こうという気分にうっかりなってしまうような、時間の余りも、すごく重要。そういう、なにもしてない、なにものでもない、ただのわたし、みたいなひとときが、わたしは大好き。

  • おはなしリライト。
  • かんたん伴奏つくる。

回想と、すこし悶々


以下、mixiで2007年11月17日に書いた日記『シンポジウムとおはなし会と映像の世紀』を全文コピペ。

こないだ愛知東邦大学主催の「子どもが育つ地域づくり」というシンポジウムへ行った。
そのことを長々とどっかに書こうと思ったのだけど、あした早いからもう寝る。

今自分の生活の中でいちばんたのしいおはなし会ボランティアがあるのです。http://www.aichi-pref-library.jp/jidou/jgyouji.html
明日は紙芝居を2つやります。
朝11時半からのちっちゃいこ用が「ポケットポケット」とかいうやつでこれは5歳以下じゃないとおもしろくないとおもうけど、2時からおっきいこ用にやる「たべられたやまんば」(=3枚のおふだ)は大人もおもしろいと思います。
だから見に来てね!とはぜんぜん言いません。
知ってる人がいたらきっとどもっちゃうからね。
わたしのこと知らない人は見に来てね。

ちなみに、自分の生活の中で2ばんめにたのしいのは保育士試験の講座。授業はおもしろいけど練習問題はまちがいばっかり。

こないだわたしがゆびにはめたクマの人形になついてきた子どものパパが、どっかでみたことあるなーと思ったらあとで思い出したんだけど仕事関係の人でした。
あたしなにボランティアなんかやってんだろ、的な気分になった。

シンポジウムではこどもケータイでもエロ画像がこんなに見れる、ということを熱く問題視するえらい人が、パワーポイントで延々エロサイトを見せてきて、「おまえぜってー好きだろ」と思った。
PTA風なおばさん(たぶん教育関係)に「なぜ子どもがあんなに脱ぐのかその気持ちがわからないのですが」と質問されて、「ぼくもわからないがサイトの作りが巧妙なのだ」というような感じで答えていたのがぶへ〜!と思った。
子どもについて考えてるえらい人なのに、「なんで脱ぐんだろ」って疑問に思ったことないのかな。
わたしはそこで挙手し、性を売る人がなぜ性を売るのか熱く論じた。
うそ。きっとポカンとされるだろうし明らかに浮いちゃうし緊張して声がうわずるのも恥ずかしいしお腹も空いていたからやめた。それによしんば、よしんばうまく話せたとしても、議論のための議論はきらいだ。

愛知県児童総合センターセンター長の話はたいへんおもしろかった。
このセンターはこどもにあそびを提供する施設なのだが、ぜったい彼らのほうがたのしそうだと思った。
センター長はえらい人たちの中ではちょっと浮いてる感じがしてそれもよかった。

NHKの映像の世紀を図書館で借りて見ているけどおもしろい。
ほしいけど高い。http://www.amazon.co.jp/dp/B000BEYCB8/
サンタさーん、ほしーよーう。

今のわたしなら、「ぼくもわからないがサイトの作りが巧妙なのだ」という言葉に疑問を持たないだろう。問題の本質に自分の手で触れようとする前にメディアのせいにしちゃうのは悲しいね。余裕がない、大人自身に。それで子どもを云々言っちゃいかん。悪循環だ。

「ぶへ〜!と思った」理由、もっと知りたい。「性を売る人がなぜ性を売るのか」、日記中でいいから論じといてほしかった。

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『ラストサムライ』を見ててブログを書きたくなって思ったけど、ってかいつも思うけど、映画ってネタにしやすいんだよな。書きたくなりやすい。適当な雑誌とかフリーペーパーには映画レビューとか情報とかだいたい載ってるし。

わたしは映画は好きだけど、ブログのエントリー数ほどは重要なことじゃないし、おもしろいもんでもない。

ただ、映画のすごいのは、共有してる感じがあったり、大衆娯楽でだれでも内容が分かりやすかったりメッセージが受け取りやすかったり、なにしろ共有しやすい。タレントの噂ネタとかはなんかいかにも下世話だけど、映画の話はなんかカルチャーっぽいし。

『ラストサムライ』は、非常にうるさくて下品でおおざっぱで、マジ鼻持ちならねー映画だけど、それでも感動する。ラストサムライみたいな生き方かっこいい、自分もああいう生き方してみたい、みたいな、100人いたら100人が「そういうことが言いたいんだろ」って分かっちゃうメッセージを素直に分かりやすく見せるし、感化されやすい。されやすい、って日本語が難しいな。されることができやすい。‥‥ますます分かりづらいな。

こういうショー魂みたいのを感じると興奮する。敬服しちゃう。感動しちゃう。

来ませんでした!来ませんでした!来ませんでした!


心が汚くなっちゃったのは自覚してるけど、やっぱりわたしのとこになんか、サンタは来ませんでした。