年齢と心の深淵


心の深いところにある言葉に、手を伸ばそうとさえしてないな、最近。昔はまるで砂金をあさるように、心の底を両手でザクザクかきわけてたのに。……というほどがんばってはいないか。今と大差ないか。

昨日、ぴらぴらのアホみたいな服着て街のガラスに映る自分の姿を見て、「あ、もう34なんだった」とひとりごちてしまった。

わたしより、友達の赤ちゃんのほうが魔女宅のキキの年齢に近いということに気付いてしまった。しかもダブルスコアで。

最近、会社のとなりの席の人が大変目標になる既婚アラフォー女性だということに気付いた。

同い年の友達が、うっかりオソノさんが自分たちより年下な可能性を示唆した。

年齢とか歳を重ねることについて、ここんとこちょいちょい考えたり書いたりしてる気がする。まず第一に、気にしない、気にされない歳の取り方をしよう。着たい服を着るし、やりたいことをやるし、生きたい人生を生きよう。

あー、心の深淵のことを書こうとしたのに、歳の話になっちゃった。心の深淵は、物語を書かないとなかなか出てこないな。

Proseに載せられるネタないかなって過去のブログさかのぼって読んでみたけど、ぜんっぜんなかった。書くということと向き合う時間には、ほとんどなっていなかった。ブログ。仕事の書き物は、書く技術とは向き合っても、自分の内側とはさほど向き合わない。自分の内側を使うけど、掘り下げはしないし、アウトプットもしない。

そういうことがちょっとしたくなってきたなー。もっともっと時間が欲しい。(でも時間は足りないくらいがちょうどいい。じゃないと結局やらない。)

誠実


自身に誠実であることで世渡りがうまくいかない場合は往々にしてあるが、じゃあ、自身に不誠実でありながら世渡りがうまいってあり得る? 本人それで満足なん? 不誠実であれば、実は満足してないことからも目をそらすことができるからいいの? それ寂しいよね。自分の味方に自分さえいないなんて。

自分以外の人間に対して多少非道だとしても、自分自身に誠実なら仕方ない。それでいい。でも自分に不誠実な人はだめだ。

しかし「誠実」ほど、わたしが大事にしていながら人と共有しにくい言葉もないな。

小説『勝手にふるえてろ』


勝手にふるえてろ
勝手にふるえてろ
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綿矢 りさ
文藝春秋
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綿矢りさすごい。大好き。天才。この文章。この確かさと不確かさ。ゆらぎ。リズム。美しさ。素直さ。率直さ。正確さ。確固とした、ありのままそこにあるという、強さ。

以下ネタバレ。

なんでなんでそっちなの。最終的にそっちなの。
朝ドラの『てっぱん』で滝沢くんについていかなかったあかりも分からない。

切実に切望する幻想かもしれない、たぶん幻想であろう人やものと、退屈だけど確かで、自分の足の下にある現実。

わたしはいつも前者に向かって進んでしまう。止められない。未知の理想郷へ向かっていくのはおもしろすぎる。止められない。

確かに足の下にある現実は、すでにある。ここにある。そのありがたさを分かっていても、それを守ることやこれから続けていくことが新しいことで有意義なことと分かっていても、未知には勝てない。

そうやって、わたしは大事な物を失いながら、未知のものを既知にしながら、そしてまた失いながら、生きてきた。

いつまでそうしてるんだろう。でもまだ33だし。

でもでも、今、わたしには、未知への好奇心とは別軸で、きっとずっと大事にしたいものが、自分以外にふたつある。

ひとつはいつでもそばにある。すでにずっとそばにあって、いやになったりどーでもよくなったりしながら、それでもそばにあって、今は大事にしたい、育てたいと思ってる。や、ずっと思ってたけど素直になるとしんどいから斜に構えてたけど、今は素直に思ってる。

もうひとつは、もしそばにあってくれたら、大事にしたいと思うもの。でもわたしにはどうしようもない。そばにあるのかないのか、分からない。今は未知への好奇心でいっぱいで、本当にずっと大事にしたいのかよく分からないけど、この直感は外していないような気がする。ただ、これから先そあばにあってくれるのかどうか分からない。うまくいっても、きっとずっと、分からないまますこし不安を孕んだままのものだろうと思う。それも込みで、大事にしたいと思ってる。

でもふたつめのほうは、それが既知になったとき、新たな未知が現れたときに両立できなくなったら、やっぱり手放してしまうんだろうか。それを守ることや続けていくことが新しいことで有意義なことと分かっていても、未知には勝てないのだろうか。

「でも多分、好きになってしまった時点で、口ではどんなふうに言っても、もう99パーセントくらいは受け容れてしまってるんだろうな、多分」

そうなの。だから困るの。

でも、やっぱり自分の直感は外れていない気がする。

久しぶりの読了。単行本新刊を買ったのも相当久しぶりだったけど。おもしろかった。綿矢りさはすごい。

うだうだエントリ


2009年の1月から2月のブログがおもしろかった。
がんばろっと。

いまわたし自分の人生の上にちゃんと立ってる気がするよ。

うだうだブログエントリするこのノリひさしぶりだが、やはり幸せなひとときであることよ。(仕事からの逃避だけど。)

綿矢りさの『勝手にふるえてろ』を読んでる。

だって好きな人には正直でいたいという気持ちも、ただの欲望の一つだもの。

なるほど。

好きって言わない好きの伝え方もあるんだなって最近思う。そういうのできるのもかっこいいなと。

エントリー最多月をふり返る


アーカイブで一番エントリー数の多い月のエントリーをだらだら読んだ。

わたし、3年+1年の恋が終わったとき、立ち直るのには育てたのと同じだけ時間がかかると友達に言われて、一生引きずる覚悟をしてたので「じゃあ4年程度で立ち直れるんだ」と希望を抱いて、日々を暮らしていた。

つらかった。4年かかった。

もうつらくない。引きずってなくはないけど、もうつらくない。立ち直ったと言っていい。

友達の言うことは当たってた。