Googleカレンダー


この秋、会社の仕事が超多忙というか、案件数がキャパを超えたので、ちゃんと手帳を書くようになった。
Googleカレンダーの週表示あるいは日にち表示で、時間単位で管理する。

そしたら、焦らなくなった。

「今日やること」は山盛りある。ありすぎて、なにから手を付けたらいいか分からない。しかも全部「今日中」が〆。

だけど、ただのtodoリストじゃなくて、30分単位くらいで区切って、かかる時間とやる順番を整理して表示したら、「今日やること」じゃなくて「今やること」がよく分かるようになった。

「今日やること」は山盛りでも、「今やること」は1こ。絶対に。それ以上は不可能だし。
‥‥ということが、きちんと把握できて、焦らなくなった。

で、今、けっこうプライベートな時間にやりたいことが山盛りあって、でも時間は少ない、という状況が続いている。
家事をしたりぼーっとしたりしてるうちに消えていってしまう。
ぼーっとするのは、わたしにとって重要なストレス解消時間である。ブログ書くのも「ぼーっとする時間」にやることである。

のだけど、本当に時間がなくて、仕事も与えられたことをこなす以上のことがなかなかできないし、なんだかただ年老いていくだけの人生みたいな気分が虚しかったので、今日から、プライベートの時間もGoogleカレンダーに書き込むことにしてみた。

ちなみに、今日のスケジュールは「2030-2100」が図書館、帰宅して「2130-2200」がご飯&ニュース見る、「2200-2400」が映画鑑賞で、「2400-2500」が読書→就寝。

映画見たら興奮してPC立ち上げちゃったので、読書の時間が1時間半ほど後ろ倒しになっている。就寝時間は多分26時を過ぎる。

けど、今月はほんとに映画見れなかったからなー。って最近毎月言ってるなー。

明日は「2200-2400 自力整体」。
図書館で借りてきた本に、DVDが付いていたので。

Googleカレンダーは、「あれしたい」「これしたい」を、ちゃんとタイムテーブルに組み込んでメモるというのが、とても良い。
「とりあえずやりたいこと。そのための時間確保はいずれ」じゃなくて、「とりあえずやりたいこと。とりあえず時間を確保」。まあできないかもしれないけど、ココでやるってことにしとく。そういう近未来の青写真(夢・妄想)をつくっとく。というのがいい。

ただメモ帳にリストアップしていても、どうしてだか毎日後回しにしちゃうんだよな。
「時間がない!」って必要以上に思っちゃうんだろうな。

「ねなきゃ!」「おきなきゃ!」「時間がない!」
ああ忙しい!

ほんよんでねよ


今日は、この冬初めて綿入りコートを着た。
手袋もした。

足先が冷たくて入眠を妨げる。

ちいさなホットマットを布団に仕込んで、温めてから布団に入るようにしている。

手がかじかんで、タイピングスピードがやや落ちる。
仕事中、机に触れる手の小指側が冷えるので、指なし手袋をしている。

そういう季節である。

ほんよんでねよ。
(↑最近気に入っているフレーズ。リズムというかゴロが完璧で、人が無意識のうちに多用するにふさわしいすばらしいフレーズだなと感じている。)

Life


旅の記録の最終回がいつまで経ってもエントリーされず、記録中のわたしは風呂に入れないまま、ついに1ヶ月が過ぎましたが。

今日は深夜の会社でまったく関係ないエントリーをだらだらとします。(新聞読むとか掃除するとか机周り整理するとかって、日中はなかなかできないんでやるなら朝早く来るしかないと思っていたけど、今、仕事終わってから一人深夜にやってみたら、なかなか気持ちがよかった。勢いでブログも書いてみる。)

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さて、いつ死んでも心残りのない人生を送ろうというのが、わたしの昔からの心がけです。

いつ死んでも心残りのない「人生」というのは少しおかしい。生きてから死ぬまでを一つの「人生」として捉えると、そこになんか意味とか達成感みたいなものがないと「心残りのない」ものにはなりえないような気がするから。気がするだけで、これは言葉のマジック。

それよりは、いつ死んでも心残りのない「生活」を、というのがしっくりくる。同じようなことなんだけど。

「人生」は大げさ。人生を意識して生きてると、プレッシャーに負けちゃうな。
朝起きて、夜までの長さを思うと暗澹たる気分になるのと同じだな。

それよりも、朝イチでやらなきゃいけないことを考える。今日の居心地良さを大事にする。

「生活」を大事にするというと、今度はきちんとおいしい自炊をするだとか、丁寧に紅茶を入れるだとか、そんなイメージも湧くけど、それもちがう。

たとえばここのところ仕事が忙しくて、ティーバッグのハーブティーを入れる余裕もないほどの精神状態。お茶を入れる時間くらいあるのだけど、焦っているのでそういう気分にならないのです。でも、余裕がないのも含め、そういう生活が今はたのしい。

何が言いたかったかというと、「天気は『今日』の額縁」ということだったのだけど、まったくそこへ行き着けないまま、筆を置きます。

‥‥わたしもう書く人じゃない気がする‥‥。でも書くの好きなの。

こういうのも、ライフワークバランスっつーの?


生活スタイルとして、家で仕事できれば、職種はなんでもいいのだ。

やりたいことが「ない」と答えるのは、道を外しているというか、ニートと同じようにダメな人間になるような気がするので、なんかあるみたいに言うし、実際あるような気もする。でも、そこに向かって歩む前に「できないかもしれないし、やってできないよりは『やりたいわけじゃない』ことにしよう」としてしまうということは、つまり実際客観的に見て「やってる」「やってない」で言ったら「やってない」ってことは、どのみち大した「やりたいこと」は持っていないのだろう。

そういうややこしいことはさておいて、もう何年も、いちばん真ん中にある大事なものは「暮らし」です。

暮らしに集中したい。朝起きて、明るい時間に家事して仕事して、夜はまったり気ままに過ごして、就寝する。

今はだいぶそれに近いので、なんとか満足している。ことにしている。けど改善したい点は山盛りある。

こないだ割り切ったのは、「夢を叶える!」じゃなくて、「生計を立てる(暮らす)ために!」というベクトルでがんばろうということ。家でできる仕事で、生計を立てることができて、わたしにできそうなことって何かなと思うと、ぼんやりしている「やりたいこと」とぴったり一致する。好都合じゃないか。

自分なんてこんなもの


なんかもう、なにもかも捨てたい。なげやりたい。

なにもかもバカバカしくなっちゃった。仕事も恋人も友達も髪や服をちゃんとすることもうっちゃって、誰かに愚痴やら身の上やら聞いてもらいながら寂しくなく眠りたい。

もう、なにもかも、バカバカしく、面倒くさく、鼻白む。

でも、モノの減った秩序ある部屋にいるのはうれしい。
この部屋で、秩序ある暮らしらしい暮らしを営みたい。
ただそれだけが、したい。

寂しい。自分なんて、こんなもの、捨ててしまいたい。

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やりたい本の企画書を書きたい。
いやその前に、書きたいものを書きたい。
いやその前に、書きたいものを掘り起こしたい。
絵を描いたり、ピアノを弾いたり歌ったり、そういう気の向くことをやりたい。

ちょっと忙しすぎる。