リストのリスト


「死ぬまでにしたい10のこと」のリストが1個も思いつかなかったけど、こんなリストなら作れるかも、リスト。

  • 結婚したい理由
  • 結婚したくない理由
  • 独身のうちにしたいこと
  • 一人暮らしのうちにしたいこと
  • 東京に住んでるうちにしたいこと
  • 親が元気なうちにしたいこと
  • どうせ生きてるんだから死ぬまでの暇つぶしにやっときたいこと
  • もしかずのりさんと家族になったらしたいこと
  • もしかずのり以外の人と結婚して家族になったらしたいこと
  • もし子どもができたらしたいこと
  • 会社辞めたらしたいこと
  • 会社辞める前にしたいこと
  • 飼いたい動物
  • 会社に勤めてなかったらやってたこと

その前に、空き巣事件について書いておきたいんだけど、その前にやらなきゃいけないことがある。
あと、受援力のこと。

棚田のテレビ見てて思ったこと。考えてみたらそもそも人間という種が、その営みの中で、人間以外のものの助けを借りて生きるということを忘れているよなー。受援力。

『輝け二八の瞳 学び合う教室』という番組を見てて思ったこと。教え合う関係じゃなくて聞き合う関係。これも受援力。分からないことを分かる子に聞く、ということを、小学校から大学まであんまりしてこなかったよな、と。分からないことが恥ずかしいという気持ちもあったし。でもそんなのおかしい。分からないことを承認しないなんておかしい。分からないと言えないのはもったいない。分かった子だけ手を挙げて、それで授業が進んでいくのは、分からない子を否定しているようでおかしい。

「分からない」と言える教室を作れる先生はすごいと思う。

「彼に残るのはなんだ」

やばい、感動して泣けてきた。

これほんと、受援力のきわみ。

今なぜ学び合いなのか。

以下、番組〆のコメントの文字興し一部。

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社会に出ると一転して自己責任とか。
日本社会全体のありかたが問われている今、連帯が作れないまま進んでいくと、この世界は危ない。
分からないということから目を反らして生きてきた僕たちが、分からないを認めるというのは、謙虚になるということ。
失敗しないことを前提にしてるから、想定外が起きちゃう。
分かったことには責任を負うが、分からないことには追わない。分からないことを認め合って助け合う。
分からなかったことから目を反らす、分かったことにしておくより、分からないことを認める方が、豊かなことかもしれない。
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器用な子は、小学校で習うことなんかすぐ分かっちゃうので、考えないんだよね。
ある時期、高校生とかになって分からなくなると、すぐいやんなっちゃう。
暗記しきれなくなると、いやんなっちゃう。

分からない子の方が、そのこと自体を否定されさえしなければ、考える機会がいっぱいあっていいのかもしれない。

やりたいことは、自分でなんとかして(人に助けてもらってでも)やれるならなんでもやればいいと思うよ。
お姫様のおちゃわんでごはん食べたいなら、ちゃんと自分で探して、他にそれ使ってる子がいるならちゃんと交渉して、手に入れたらいいと思うよ。

いい子って言わない


こっそり抱いている自分の保育指針として「『いい子』って言わない」というのがある。多くの場合、「いい子」=「大人にとってつごうのいい子」だから。

それ間違ってるって重々分かっててもつい、言うこと聞いてくれると「○○ちゃんはいい子だねえ」と言ってしまう。そんなことを褒めてはいけない。それでは子どもが「つごうのいい人」に育ってしまいそうで怖い。

大人には怪獣のように見える子でも、自分より小さい子にやさしかったり、お手伝いして誰かを助けることを喜びに感じたり、負けず嫌いでがんばりやさんだったりする。そういうのがいい子だと思う。

「いい子にしてた?」って大人が子どもに言うときは大抵、「大人に迷惑かけなかった?」って意味だよね。なんというパワハラ!

ちなみに、わたしは元・いい子です。

映画『秘密の花園』


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『秘密の花園』を見た。

大学生くらいのときに原作も読んだけど、まあいい話だけど、いまいち面白くもなく、きれいなだけの話のように感じた。

名作と言われるけど、こういう、子どもがそれまで閉じ込められていた境遇から(自分や同世代の子どもの力で)抜け出して、いっきに健全さを取り戻すといったようなストーリーを、子どもは面白く感じるのかな。

ハイジも奇跡の人も、大人が感動したり、それを子どもに与えたがったりする気持ちは分かるけど、子ども自身が自分の感性で何を感じるのか、わたしには想像できないなあ。

ハイジは、アニメのハイジがめちゃんこ魅力的だったからよかったけどなあ。原作はそうでもない。

五朗映画がつまんなくて駿映画がおもしろい(とかなり多くの人が感じる)最大の要因は、主人公の人柄にあると思う。
駿の作る人物はすみずみまでみんな魅力的。ムスカでさえも。

その違いはどこから生まれるのかな。

自分ばっか観察してるか、他の人のこともちゃんと観察してるかの違い、という気がする。人を観察するには想像力が必要。想像力には意外と記憶力が必要。人の想像つーのは、所詮自分の経験したことを寄せ集めて思い出す作業にすぎないんじゃないかと思う。

あー話がどっか遠くへいっちゃった。

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疲れているときの日記はろくなことにならない


2〜5歳に慣れたところで1歳児のお食事面倒見たりすると、もうなんか絶望的な気分なる。
調理師さんがいろいろ計算して作ってくれてる食品の、一体何割を床にこぼす気なのか! よく食べたと思ったら、床で米粒が山盛りになっているじゃないか!
つーかコップくらい自分で持て! やる気がないなら帰れ!

でも、ろくに飯も食えないこの子らが来年の夏には……いや、1年じゃ大して変わらないな。ぼーっとして、床にぼろぼろ落としてるな。

でも2年経てば箸が持てるし、3年経つと先生やお当番さんのお手伝いするし、4年経つと下手なバイト先生より気が利く仕事ぶりを見せる。

それに比べて、わたしは去年の夏からなにが変わったろう。手取り額は減ったし休日も減ったし、余裕も減ったし老いたし……。

母と同じかそれ以上。


Nursery Noteの「キラキラをほめてもらってウハウハ」を今エントリーして、思い出した。

わたし、お母さんの首のプツッととびだしてるやつを執拗にいじっていやがられてた。赤ちゃんのころ。何歳までかは覚えてないけど。

わたしの首に、母とおなじプツッがあるのだな、ということさえも今まで思い至らなかった。

このポツッは母と同じやつなのだなあ。わたしはあの頃の母より歳を取ってしまったのだなあ。