日帰りボラツアしただけの「支援者」の思索メモ


「支援したい」という支援者の気持ちが「自己満足」でしかないのかそうでないのか。どこまで部外者が支援するかを決めるのは、実は支援者自身ではなくて、支援を受ける側の笑顔なんじゃないか。

もしも支援者の支援が助けになっているのなら、支援を受ける側は「助けてもらってすまない」「あとは自分でできる」というよりも「ありがとう!」「うれしい!」と笑顔をいっぱい見せてほしい。支援者はそのために支援している。楽になったら笑顔になればいい。楽になるのは悪いことじゃない。というか、いいこと。絶対。

それでも、部外者が支援することで現地の雇用が減るとか、なにか不都合が生じるなら、それをそのまま伝えてくれれば、支援者はよろこんで手を引くだろう。

支援するのに自重する必要はないし、支援を受けるのに恐縮する必要もない。

「支援する/される」は、ただの人間らしい循環。ただ、ちょっと美しいだけ。

修学旅行、あえて被災地へ ─産経ニュース─


http://photo.sankei.jp.msn.com/highlight/data/2012/01/07/8natori/

いいね。

被災地を見るのは、今の被災地の現状を見る、というだけのことではなくて、現代社会がどれほど人工物で固められたへんなものか、というのが分かるよ。
原発やめるならひとまず火力にするっきゃないじゃん、とか言わないで、電気使う量控えればいんじゃねーの、と簡単に思えるよ。

お金稼ぐためにいろんなもの犠牲にしすぎだよ、社会も人も。

さようなら原発1000万人アクション


今さらだけど、脱原発の署名をしてみた。
紙に書いて郵送で送るやつ。

署名1人分を80円かけて送るのはしのびなかったので、用紙1枚10人分集めてみた。
みんなちゃんと考えて、書いたり書かなかったりしてた。
さすが大人。

さようなら原発1000万人アクション

署名はいろいろあるみたいだけどどれがいいかよく分からないので、そこで悩むとめんどくさくなりそうだったので、目に付いた中からまあ安心そうなのを選びました。

わきまえる


わきまえている人との悪いことは、楽しい。
わきまえるって大事。

わきまえることができるようになるというのは、狡猾になるというのもあるが、自立するという側面もあるように思う。

……なんだそれ、子どもか。

悪いこととは、誠実に生きるための脱線です。

……わー、バカな大人の言いそうなこと。

日常


地震速報の連投を見たあと、友達の日常感あふれる写真ツイートを見て、非日常にいながら日常を恋しく思う感覚をぶわっと思い出した。

わたしのは自分から好きこのんでした一人旅の途中だったけど、見知らぬ街のファミレスで、ほかの人たちの様子を見てすごく切なくなった。しばらくして、みんなが家族や恋人と日常の時間を当たり前に共有してるのがうらやましいんだと分かった。「日常」が恋しくて、今なくて、寂しいんだと。

今回の地震で被災した人、その家族の気持ちはとても察しきれないけど、日本のすごく多くの人が「日常」の大事さを初めて実感してるのは分かる。少なくとも関東までの余震に揺られてる人々は、他人事じゃないと実感している。

東海以西の人より、海外にいる日本人のほうがなんかいろいろ感じてるように見える。