映画『おとうと』


小学校の夏休みの絵日記みたいにまとめ書きしてますが、べつに「書かなきゃいけない」とかいう強迫観念で書いているわけではなく、書きたくなったときに書くと勝手にこんなペースになっているわけです。だれに対する言い訳なのかよく分かんないけれども。

先週の日曜日の日記を書きます。

映画『おとうと』を見たよ。のり子とな。

なんであんなに泣いたのかよく分かんないけど、たぶん絶賛悶絶悶々中だったからだと思うけど、わたしはいつからアウトサイダーに自己投影するようになっちゃったんでしょうか。

思い起こしてみれば、わたしが強く惹かれる人というのはおおむねアウトサイダーだったよね、確かに。そして影響を受けたいなーとか、こんなふうになりたいなーとか、思ったりもしたよね、確かに。

でも、器用にいい子でやってこれた、それになんの疑問もなかったわたしが、なんでそんなめんどくさ街道を邁進してしまったんでしょう。

いやー邁進しちゃったな、ほんと。

強く惹かれたり、あーなりたいな、と思ったりはしたけど、それはあくまで、自分はインサイダー(って言う?)として安全であって、その上でアウトサイダー的ちょっとワイルドな路線もあこがれるワ、という程度のことだったんだよ。それが、最終的には完璧に国の福祉と人の善意にまるごと身をまかせるしかないような救いようのないアウトサイダーに自己投影するようになってしまうとはな。

基本路線に戻る道、気付けば草ぼーぼーになっています。

で、最近山田洋次にハマっていて、昨日は『あにいもうと』という古いテレビドラマを見ました。渥美清と倍賞美津子が兄妹の役だけど、寅さんとはまったく関係ないおはなし。1時間で1回完結のテレビドラマなんて、それだけでかなり斬新な印象ではあった。

あんまおもしろくなかった。というか、地味だったし、ドラマから読み取れる救いみたいな部分は、うざくてけんかっ早い兄の「妹を思うきもちとその空回り」にあると思うんだけど、あれって妹からしたらほんとうざいぜ。孕ませて逃げた男よりよっぽど直接的に害になる。人として女としての悪い意味での意地を発達させる。ひいては「みんなに愛されて幸せな女」という人生から逸れさせる。なので、女目線ではぜんぜん救いに見えず、なんかなー。わかるけどさー、憎めない理由も分かるけど実害もものすごいっていうのは、ほんとやなもんなんだ、今のところ。うまくオトナに対処するの、まだ無理。(対父。)

で、お母さんは『おとうと』の感想として「でもなー、死んじゃうといい人になっちゃうんだよなー」って、完全につるべえを悪者視してた。(笑)。ごめんねあたしこんな娘で。

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