花器


今、長い長い惰眠の中でおもしろいことを考えていた。

花瓶やオアシス、壺などの花を生ける器 と 花 の関係と、
女(生命源、造形) と 男(男根、男の精神) の関係、の類似性について。

SMプレイにおける辱めのパターンとして、まんぐりがえしの女性器や肛門に花を生ける、というもう底抜けにバカバカしいのがあって、この手のことにキャパシティが広いわたしではあるけど、さすがに人間活け花については「陳腐だわ〜」と思ってた。なんだろう、プレイ自体が陳腐なんじゃなくて、そういうあほくさいことをしておいて「美しい!」とか言っちゃう感じが陳腐だと。

でも今朝の考察から、あながち陳腐なだけでもないのかも、と思えてきてしまった。性行為の核の一部をデフォルメして表現しているのかも。

今朝の考察を忘れないうちにメモっておく。

花は男。花を活けるのも男。器は女。
器は花を引き立てるし、器次第で花の量や内容が変わってくる。つまり、器しだいで作品全体の構成やボリュームが変わってくる。活ける人の技量も当然作品を左右する。器と花をいかすも殺すも活ける人の技量しだい。(このあたり、プレイの良し悪しを男のせいにしている。そのくせ本質的な可能性は女に委ねている。つまり、男は女をうまく見極めて、女を最大限に活かすセックスをしろと。わたしのセックス観のバランス悪いところだと自覚。なんて傲慢で自己中なんだろうわたし。)

ああ、記憶が薄れてきた。こんなの所詮夢日記なので、儚い。

性行為にダイレクトに結びつける前は、女は椅子みたいなもので、そこに憩う子どもや男、というのがあった。
椅子の幅や素材、形で、憩う人の気持ちはすごく違うだろうな、と。
女次第で、子どもも男も、生きていることの感触が違っちゃうんだろうな、と。
で、だんだん、女は井戸みたいでもあるなあと。水が湧き出すし。そんで、男や子どもの生命や精神の源になるんだなあと。このへんまでは、神話っぽい。あまり傲慢ではないと思う。

男と女は絶対に平等ではない。だけど不等号も付かない。
ただただ凹と凸で、女は生命源、男は創造者。女は畑、男は種をまく。
両方合わせて初めて、一つの生命体。

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