金魚が一匹死んだ。
気温(=水温)上昇と人口増加による環境汚染が、4匹中いちばん体のちいさい彼、あるいは彼女を最初の犠牲者にしたのだろうと思う。
酸素不足というより、水質汚濁だと思う。直感だけど。
死んだのと一番でかいのの2匹は、今までフィルター付きのおなじ大きさの水槽だったので、フィルターがなくなったことも人口が増加したことも大打撃だったと思う。
でかいのはでかいので、もっとも汚濁に関与している。ちっちゃいのはちっちゃいので汚濁加害率は少なかっただろうに、ちっちゃいゆえに一番早く影響を受けた。(世界情勢のようだ。)
ここ1週間、水面パクパクの症状が4匹全員に見られたので、明日にも環境をおのおの健康だった頃の状態に戻そうと思っていた矢先だった。
1日遅かった。
夕方帰ってきたときは、まだ元気にパクパクしてたのに。数時間目をはなしたすきに体が横になりえらがわずかに動くのみになり、それから間もなく動かなくなった。
彼、あるいは彼女がわたしのペットになったのは多分2年前。
そういえば金魚の寿命ってどれくらいなんだろう。
金魚の人生を考えてみる。(BGMは『梅は咲いたか』)
小さな金魚鉢のなかで一見あわれそうだけど、金魚なんてじつは人間の鑑賞のための生き物で、最初から自由もなにもない。自由にされたらきっと死んじゃうし。
ほとんどかずのりさんちに預けっぱなしだったので、わたしはラブラブな時間に横目で眺めていただけだけど、彼、あるいは彼女はただそれだけのために生まれてきたし、生きていた。
人生って何、とか、こんなせまっちいところで死んでゆくのかしら、とか、生きてることが辛いならいっそ……とか、世界平和とは何か、とか、自分に合った職業は何か、とか、結婚って何、とか、子どもがほしい、とか、今夜は何を食べよう、とか、あたし恋してるかも!、とか、親孝行しなきゃ、とか、老後はどこでどう暮らそうか、とか、自分は飼い主に愛されているだろうか、とか、同居人とのウマが合わない、などということはまったく考えずに生きていた。
からだがちいさくて真っ赤で尾ひれが長くてスマートで、とてもきれいな金魚だった。
魚は起きていても寝ていても、目を開いている。
まんまるの真っ黒の目で、生きていてもちょっときもちわるい。
でも、死んだらもっときもちわるい。
死んだ魚の目をしている。
生きてる金魚も同じ形、同じ色の目をしてるのに、ぜんぜん違う。
死ぬというのはそういうことだ。
大きな金魚が泳ぐから、水が動いて死んだ金魚もうごく。ふわふわゆらゆら、浮いたり沈んだりする。
意思はない。死ぬというのはそういうことだ。
そういえば昨日の水換えのとき、どぼどぼ落とす水の勢いに彼、あるいは彼女だけ一瞬のまれた。弱ってるのかもって思ったんだった。
大量のひん死者を前にした医師は、まだ生きているけど明らかに死ぬであろう人にはなにもできない。否、なにも施さないということを選択しなければいけない。なぜなら死にゆく人に手を差し伸べていたら、そのうちにもほかの生きられるはずの人々が死んでゆくからだ。
医師がすべき仕事は、できるだけたくさんの「数」の命を助けることで、そのためには取捨選択をしなければいけない。息のある人間をほおっておくのがいかに辛いか。死にゆく人の遺族に恨まれ、ののしられさえするかもしれない。それでも医師はすべき仕事をする。
わたしは、死んだ金魚の次に体がちいさい2匹を、カルキ抜きした水槽半分の水に移した。体のおおきい1匹と分けたのだ。きれいな水の中で穏やかにしている。
大きいのは、汚いままの水槽にいる。水面パクパクの症状を続けている。しかし大きいのが水の少ない水槽に入ったら、また同じ悲劇がくりかえされるかもしれない。全員を犠牲にすることはできないのだ。
大きい金魚に悪意はない。ただ、わたしの考えうる限りそれが最も妥当な処置だった。
明日、死んだ金魚を葬らなきゃ。
生きた金魚に触るのはたのしいけど、死んだ金魚にさわるのはなぜだかゾゾッとするんだよなあ。あんなにちいさくてかわいいのに。目のせいかな。それだけじゃないな。
火葬にしたら、ただの焼き魚だな。

[...] 見られないというシーンがあった。内臓もそのまんま食卓にのっていた。 わたし、こないだ死んだ金魚の目を思い出した。 焼き肉屋でぜったい生肉を食べなかった人のことも思い出した [...]