最近、器用な立ち回りということについて、すこし努力している。今までそゆのあんま好きじゃなかったから。今も好きじゃないけど。でも甘えてらんないよなーと三十路ぞろ目にしてやっと気付いている。
甘えるっつのは、ほっといてもわたしのこと気にしてくれて察してくれる人がいるとか、わたしのことを好いて誘ってくれる人がいるとか、わたしの能力を優も劣も正当に評価してもらえるとか、そういういう思い込み。
しかしそろそろ、察してほしかったらきちんと説明しなきゃいけないし、好きな人を見つけたら誘わなきゃいけないし、できるできないあるいはできるようになりたいかそうでないかは、伝えなきゃいけない。
と思い至り、最近そういう力を身につけようとしている。
わたしは、比較的、世論や常識に流されずに「まとも」に近い価値観を持ち続けられる自信がある。
凡庸だし、矮小だし、知識すくないし、口べただし、コンプレックスも自己愛もあるし、学校の成績も中の上くらいだったし、好奇心も行動力も人並みで、とくに秀でた何かを持っているわけではないけど、そういう、全体的に「ふつう」な人間であることも功を奏して、「まとも」を見分けられると自負している。
だから、もし誰にも理解してもらえないことがあると、寂しいしめんどくさいけど、わりと平気というか、ぶつかると凹むし不安になるし遠回りもするけど、根底では自分を信じていられるし、最終的には自分に帰ってくる。(だれでもそうか?)
なので、べつに分かってもらえないならそれでいいやと、そこで軋轢が生まれるなら距離を置けばいいやと、思うようになっていた。
でも、わたしのほうがまともなら、ちゃんと言おう。
‥‥ただ、まともなことほど聞き入れられないとか、ハナから人をオンナあるいはコドモ扱いして聞く耳持たない方っていうのもたまにいるんだよな‥‥。そゆ人はまだハードル高すぎるな。‥‥とか、部分的に閉ざされるとか。部分的なことならわたしもそうかもしれない。
真実ほど、まっすぐ伝えてはいけない。という場合がすごくよくある。そゆの察してうまく伝わるようにアレンジするのは大事。難しいけど。
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