メダカ日記


少し前、大根の切り株を育ててみたら、部屋をもっと自然豊かにしたくなってきた。そこで、魚やで発泡スチロールをもらってきて、メダカを入れてみた。

机下ビオトープ

メダカんち

メダカと大根菜

ガラスの水槽をここに置いてたらどんどん緑の苔が生えたから、ビオトープできるかもしれないと夢見てしまったのだ。このスチロールもどんどん緑になってほしい。

ついでに、昨日の散歩のうち、メダカ部分を以下に記す。

そもそも、発泡スチロールではなくて陶器の器を増やそうと思って、昨日は家を出たのだ。菊坂、春日通りに古物屋さんがあったのでちょっと出てみただけだったのに、見つからず、どんどん行ってしまい、本郷大地をつい越えてしまった。散歩のたびに、ついつい吸い寄せられるようにあっちへ行ってしまう。

で、不忍通り沿いの陶器の店の軒下に、睡蓮鉢発見。

軒下に睡蓮鉢

大きいメダカと小さいメダカ

覗いてみると、メダカがでっかい。うちのメダカ、でかくなりすぎてシシャモみたいになったらやだなかわいくないなと心配してたんだけど、まだまだ大丈夫そうだ。

さらに、この隣の伊藤風呂店にあった水槽。

伊藤風呂店の軒先

伊藤風呂店のメダカ

苔まみれってかっこいい。

木の風呂にゆっくり入りたいね

木の風呂桶なんて、確かにめったに入らない。そういえば、高級旅館として名高い京都の俵屋は木の風呂桶だった。個室に露天風呂みたいな高級旅館が増えているので、いかにも「風呂」ってスペースにあるこじんまりした風呂桶はちょっと意表を突かれる感じだった。とはいえ人のブログとか口コミとかで「風呂が小さい」って噂を知ってたので、びっくりはしなかった。びっくりしたのは、古い旅館の水回りのさっぱりした清潔さのほうで、定期的にやすりかなんかしてきれいにしてるんだそうだ。『俵屋の不思議』っていう本に書いてあった。テレビでも見た。

根津神社前の交差点から東に行ったところに、金魚屋を見つけた。

そこで「ドジョウはないですか?」って聞いたら、耳が悪かったのかそれともunbelievableだったのか、なんども「え?」「なにを?」って聞かれた。恥ずかしいほどなんどもドジョウだっつったら、「どうして?」と聞かれた。かわいいから。ナマズでもいい。などと返したが、まったく分かってもらえず、「大きくなったら食べるしかないね」って愛想良く言われた。人のいいおばあちゃんではあった。

さらに以前そのあたりで見たことのある古道具屋も探し当て、とはいえ水槽になりそうな陶器は見つからず、谷中の商店街にも焼き物やさんがいくつかあったことを思い出してずるずると‥‥

谷中銀座商店街

谷中銀座商店街の坂の上まで行ってしまった。

台地の向こう側に住めばよかった。「谷根千」と上野、どんどん好きになっていく。

プロフェッショナル 仕事の流儀「指揮者 大野和士の仕事」


特典映像がすごい贅沢。

徹子の部屋で初めてみた指揮者大野さんは、やっぱり、言葉に変換できないことをたくさんの人と共有する技がけた外れ。言葉は共有したいなにかへのアプローチの鍵だと言っていた。惚れる。

そうでなくても、説得力をもって相手に伝えるということの意識の高さはなみなみならないなあ。わたしがハナから諦めていること。わたしは「分かってくれる人だけ分かって」って感じで、わざわざ伝えようとしないところがある。勘違いされるよりは分かってもらえない方がラクだから。

なんちゃらルーム


わたしが通っていた小学校には、1週間サイクルの出席番号順で、図書室へ行って給食を食べる制度があった。全学年が同じ机で給食を食べるためのもの。

カタカナでなんちゃらって読んでた。「図書室」でなくてなんちゃらと言っていた。忘れた。

雑巾が臭いときのあの臭いがあのとき机に敷くビニールクロスと同じで、たまーに思い出す。思い出す度に雑巾を洗濯機に入れる三十路一人暮らしのわたし。

教室ではクロスなんてなかった(トレイだった。あ、トレイについての記憶もひとつ消えかけてる)のに、図書室のときはでかいのを敷いた。

今考えるとすごく人見知りしちゃいそうなシチュエーションなのに、当時のわたしは比較的楽しみにしていたように思う。

今考えると図書室で給食って、本が!本がぁぁぁぁ!って思うけど、当時はなんとも思ってなかった。というより、給食食べながら本の背表紙が見えてるのがよかった。「ねしょうべんこぞう」っていうのがあって、いつもいつも、窓際の背の低い棚に入ってて気になってた。字が小さくて分厚かったので一度も借りなかったけど。

ということは、本は背表紙で借りてたんだな、あの頃。名作とか作者とかそんなのぜんぜん分からず。ポップもないし。背表紙と字の大きさと分厚さとイラストと、開いたときに見えた文章のタッチ。

なんちゃらタイムだったかなあ。うーん。友達に聞けば分かる。同級生と話すのの楽しさって、こういうところにあるよね。

で、なんちゃらタイムでは、おねーさんが出し物をやってくれたような気もする。紙芝居とか。でもこれは今わたしが「そうだといいな」と捏造した記憶かも知れない。

でも、わたしは日直とか、そういう場で前に立つのが好きだったので、自分が上級生になったとき、そういうことをして楽しがってた気がする。捏造かも知れない。

なんちゃらタイムが終わると、昼放課(と昼休みのことを言う。中部地方の方言だと思う)になる。背表紙で目星をつけておいた本から、どれを借りるか選ぶ時間。

ということは、昼放課の図書室はいつも給食くさかったはずだ。

あと、いつも絶対思い出せないのが、小学生のわたしがいつ読書していたかということ。家に帰って机に座って……なんていう記憶はないんだけど、毎日のように図書室に行ってた気がする。ということは、今より読書量が多い。が、いつどこで読書にふけっていたか思い出せない。

なんちゃらタイムじゃなくてなんちゃらルームだったような気がしてきたぞ。

こんなふうに、忘れかけの記憶を辿ったり、思い出したり捏造したり、消えてることに気付いたりして、事実がどんどん混濁していくのが面白い。

わたしの記憶の相当部分が、捏造でできていると思う。

でも、文字の書き順とかはわりと正しい。習慣の中にすり込まてしまえばキープできるようだ。

『小児栄養』の教科書に「喫食の場所については、食事にふさわしいものとなるよう改善工夫すること。」って出てきて思い出した。

消えかけの記憶は、寝てるときに見る夢みたいだ。匂いみたいにふっと湧いて、急いで書かないとすぐ消えてしまう。

映画『華の愛』


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本棚にあるDVDから。(監督と宮沢りえのインタビュー記事発見。東京で映画の仕事したら楽しそうだなー、会見会場がいいホテルとかでさ。)

宮沢りえの中国語がものすごくよくて、しばしば仕事のBGMに流す。きれいすぎて見ちゃうんだけど。今日は勉強のおとも。

NHK中国語会話で習ったんだけど、中国語は、1文字を2音で読む。全部同じ長さで、音程が上がったり下がったりする。音符で言ったら全部四分音符でミド、ドミ、ミー、もう一個はちょっと変形で、八分音符が入ってレドミという感じ。(いい図を見つけた。)

そのせいか、すこし間延びしてたおやかで、安定したリズムに気品も感じる。この映画を見て、わたしはNHK中国語会話を始めたのだ。10まで数えられるようになって満足しちゃったけど。

映画は、セリフも歌も吹き替えなしのりえちゃん。日本語吹き替えもりえちゃん。贅沢やー。

やっぱ、中国はいいぜ。ってこれ見て言うのは、『武士の一分』みて「日本はいい」って言うのと一緒なんだろうけど。なんだか、国際化なんて悲しいねえ。地方の都市化も。みんな一様になっちゃってさ。

世界に宗教が1つしかなかったら(無宗教な国にはびこる経済至上主義も宗教としよう)、人間はすぐに滅びちゃうとおもうな。

たとえば人にはいろんな好みがあって、「げ、こんなヤツのどこが?」って思うような人と結婚して子ども産んだりしてるけど、そうやって血を混ぜながらいろんな種類の人間がいてこそ、種の保存は成り立ってるらしい。いろんな人がいて、意見の合わない人もいないと、世界はバランスを崩してしまうんだよ。

大小さまざまなあらゆる局面において、価値観の画一化は嘆かわしい。

岡本太郎は「キャンバスをはみ出せ」って言ってたよ。

勉強おわったらね。


  • Childish Logもみる章に入れて、みる章の目次ページを作る。
  • 各コンテンツにタイトルを入れる。
  • 映画のそれなりにまとまってる記事を集めて別カテゴリーのページ作る。

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ぜんぜん勉強おわってないのに、記事タイトルのcssいじってたら楽しくなってしまった。アイコンも作っちゃった。記事エンドのタグマークとコメントマークはうざいかもしれない。

こんなちっちゃくても、ビットマップ画像は妙に甘い。かわいいけど、こんなかにあるときもちわるい。いずれベクターな絵にしよう。

  • フッターがおかしくなっちゃった。
  • タグクラウドの、単語の分かれ目の半角スペースがなくなっちゃった。

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  • 今AdobeBrowserLabでIEチェックしたら、フォントサイズがものすごいちっちゃくなっちゃってる。

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  • 記事下の吹き出しの色、ホバー時に赤にしたい。 参照
  • エントリータイトルリストの見え方を整理したい。 参照