うちにあるDVD本編盤が傷だらけで再生できないので、特典映像の絵コンテを流してる。
いちばん好きな映画は古今東西合わせてやっぱりこれだ。
保育に興味を持ってから見たのは多分初めてだけど、なんてすごいんだいろいろ。
メイやサツキの描き方も親も風景も地域社会も、おとうさんも、カンタんちも。
声だけはプロの声優より、最近のジブリ作品みたいな声優素人のほうが好きだけど。
いやはや。
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絵が描けるのも、絵で物語をイメージできるのもうっとりしちゃう。
わたしもこれくらいの文章力がほしい。
2008-10-28 Tue 23:57
学校で習ったソフトはDreamweaverとFireworksとFlash。
いじってて夢中になるのはFireworks。←サイトのデザインを妄想するソフト。
自分のイメージにきゅんきゅんしてもらしそうになる。
わたしの腕ではホームページとして動かせそうになくて果てしなくなる。
求人でよく見るのはweb制作と編集と保育。
見ててたのしくなるのは保育。
キャリアどころか資格さえないのがとっても残念。
編集はたのしそうだけど、編集より書くほうが好きってもう分かってる。
webはプロデューサーとかデザイナーとかプレゼンテーションとか広告とか3Dとかって文字列を見ているだけで気鬱になる。合ってないんだろうな。
すなわち、
時給のいい派遣をしながら保育現場にときどき出入りしながら、夜はFireworksで妄想をぶっとばす。
これがわたしのしあわせの形。
まてまて。書く時間はどこいった。
書くのは現実逃避だから大丈夫。
あとはピアノと三味線と英語が習いたい。
やっぱ12月まではのんびりweb祭してたいなー。
急ぐ旅じゃない。
ただし良縁は大事にしよう。
2008-10-28 Tue 00:25
いま学校でOJTとか就職とかの授業がくりひろげられている。
ものすごい人ゴトなこのスタンス、我ながらなんなのだろう。
とはいえ、うっかり求人サイト見まくったり「社員採用は年齢的に最後のチャンスかしら」と人並みなことを考えてみたりしてしまう。
完璧に流されていると思う。
人ゴトな感じ × 流されてる感じ
高校受験か。
焦る気持ちを忘れた。
焦るのをやめて遊んで暮らしてたら、焦り方が分からなくなった。
学校で履歴書+経歴書書きがノルマ化されてるんだけど、なんか気持ち悪いよ。よく言えば親切なんだろうけど。こういうのってどこの職業訓練校でもやるもんなの? やったことある人いたらおしえて。
求人見てても、履歴書と経歴書を求められた瞬間萎えてしまう。(これは大学生のころから)
SONGSの美輪さんの第二回の録画したやつでも見て、ちょっとでかいスケールで人生について考えてみようと思う。
保育士とっときたかったなー。
今「人生をお休み中」と思っているけど、いつからお休みしているかというと27歳のときからで、なんと4年以上経ってしまった。
27のときに休業した人生のスタートっぽいのは23くらい。ということは4年くらいしか開業していない。
こどものころドッチボールで。
コートの中にみんながいるときはボールを取りに行くでもなく目立たず生き残り、ほどよいところで当たって外野に行ければよかったのにタイミングを逃してうっかり最後1人の内野に生き残ってしまったとき。
ひとりになったらどうやっても狙われるから、ボールをよけるか受けるしかない。あれって玉によってはよけるより受けるほうが簡単で、まあ受ける方が簡単だと判断すれば受けるし、受けたらわたししかいないから投げるしかない。
それまでぜんぜん目立たなかったから、わたしが受けたり投げたりするのがみんなには驚きで、がんばればがんばるほど驚かれるのでそれがいやで、てきとーに当てられて負けた。
そういうかんじ。
やる気もないのに高みの見物。高見で見物したいわけじゃなくて地面から見物したいんだけど、いやほんとは参加したいんだけど、とっかかり方が分からなくてつい斜なポジション取りをしてしまう。
ちゃんととっかかろう。
とりあえず美輪明宏を見よう。
2008-10-26 Sun 16:32
言われるままに割り振られた部屋と倉庫があって、みんなは食料やそれ以外の財産を倉庫に倉庫にしまってある。
お金は意味を失ったので、わたしたちのたのしみはもっぱらたべること。
おいしいものをどんどん追及するようになる。
情報も、必要最低量しか入ってこない。
情報でお金を回す競争社会もなくなったみたい。そういうことは政治の人たちがやる。
大人ちは新しい場所の整理やもの作りの仕事をほどほどに、たのしげにやって、ちゃんと速い時間にうちに帰ってきてみんなと会話する。
おばあちゃんはこういう社会になってからなんとなく意固地においしい物を追及している。
昔食べたおいしい味の再現などにもくもくと情熱を傾けている。
大人たちはそれを放って置いているけど、子どもたち(わたしたち)にはその取り組みがすごく魅力。
大人は「あぶない」と言うけど、子どもにとっていちばんたのしい遊びはスライダーの下に潜ってあちこち移動すること。
スライダーは荷物を運ぶための台。すごいスピードでどこでも行く。貨物列車みたいにくっついたり離れたりする。離れる瞬間に子どもたちは好きなところで出入りする。
大人にとっては狭い空間で潜り込めないけど、子どもは潜り込める。
上層部はまだそのことに気付いていない。大人もまだ「どうもたまに潜ってるぽい」くらいにしか分かっていない。
おばあちゃんは子どもの行動をよく分かってる。
あるとき、人工のその空間がおかしくなって(大雨つづきとかなんかそんなの)、わたしたちはとうとう倉庫部分を失ってしまう。
大人たちはだれかの言うとおりしていれば大丈夫と思う癖がついてしまっていたので、突然の事態に見舞われてやっと少し危機感を取り戻す。
子どもたちは、老人のぶつぶつ言うことを聞いていたり自分たちの感覚でいろいろ理解していて、この空間がなんか歪んでるということを分かっている。
大雨のあと、おばあちゃんは死んでしまった。
おいしい食べ物を作ることに執着して、命を惜しもうとしなかったため。
わたしはおばあちゃんから聞いて、おばあちゃんが「あれが作れなきゃ死んでも死にきれない」といっていた料理の作り方を知っていた。
わたしは大雨の日にそれを作り上げ、おばあちゃんと喜びを分かち合った。
おばあちゃんは死ぬ間際になんだか別のおいしいものも作ってくれてた。
倉庫がなくなって、食料がなくなって、おばあちゃんの作ったおいしいもののありがたさがやっと大人にも分かる。でももう作り方をしっているのはわたしだけ。
大人は大雨が終わって倉庫がなくなって、すこしパニックになっている。
子どもにとってはこの状況も想定内のことだから、大人を助けてあげようと、いつものようにスライダーの下に潜って、上層部のいるところまで行こうとする。この社会の実態、本当の情報を得ようとする冒険のスタート。子どもにとってはいつもの遊びの延長だけど。
というあたりで電話がなって目が覚めた。
その前から目は半覚めで「あ・これメモんなきゃ、めんどくさい」という自分もいた。
自分が子ども目線だったことには起きてから気付いた。
コーディングのこと考えながらデザインしつつ、自分のなにもできなさとweb世界の果てしなさに茫然自失して昼寝をして、見た夢。
大学3生のときに『月のピアノ』という恥ずかしいSF短編を書いたのだけど、ちょっと反社会的なところがそれに似てる。ああ、タイトルからして恥ずかしい。でももう3年だったのかー。あー。