はたけのポルカ


hatake01

課題曲の伴奏、指がこんがらがりそうだったので、簡単バージョンを作った。

楽譜を書くなんて生まれて初めて。
たのしかった。

教えるということは


対象者が自分で気付く(学ぶ)のを待つということ。

対象者はおとな・こどもの別なし。

人を変えることはできない。
自分が変わることはできる。

ただ、自分「を」変「える」のは難しい。
無理に変えようとするより、変わるような環境などに自分をしむけて、やっぱり待つしかないんじゃないか。
つまり、自分を変えるというのは、教える対象者が自分自身ということ。

若いころ


今朝見た夢は、若いころの感覚が蘇っていた。
20台前半・半ばくらいかな。
ちょっと前。

興味のない世代だったので内容は書き留めなかったけど、やっぱメモっとけばよかった。

起きて「あのころは大変だった。今のほうがいいな」と思った。

自分を俯瞰できるようになるのは、大変良いことです。

でもまだまだ揉まれて境地に立って、限界を広げたい。

対処の記憶


■SCERN1
体調崩してげろってトイレの扉のとこで倒れたとき

パニクって大声でわたしを呼んだ父。動揺ぶりに愛情は感じたが、さわがないでほしい、安静にしたい、と思った。

■SCERN2
急激に腹痛→トイレにたどりつく前におう吐→布団に戻れずうめいていたとき

わたしが「救急車を呼んで、死んじゃうー」とわめいているにもかかわらず、おちついて救急救命医である友人にケータイで正しい対応法を聞くセックスレス彼氏。
上記のような父の元で育ったわたしにとっては、彼の冷静さが愛情の浅さにも思えた。
が、救急救命医である友人の言うとおり急性胃腸炎(?)であり、しばらくほっといたら治った。
症状、食べたものなどを伝える彼氏、対処法を教える友人。
冷静沈着な二人の行動は、死に際のわたしに新鮮な印象を与えた。

おう吐物の処理はわたしがした。
彼が飲み過ぎてげろったときはやってあげたのにさ。

■SCERN3
たびたびいろいろ調子が悪かったころ

彼氏だった現役医師は、リンパのはれをチェックしたりおなかを触診したりしていた。
子どものころに母親がポンポンと体をたたいてくれたあの安心感も忘れがたいが、弱ってるときに彼がそばにいるのはそれ以上の安心感があった。

むだに情で接してこない分、わたしも自分の状態を冷静に捉えられるようになったと思う。

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以上、小児保健の勉強で、子ども発病時の対応を勉強しつつ思い出したこと。

冷静沈着な判断と行動ができる人になりたい、というのはもちろんだけど、パニクってる人を冷静にする力も持ちたい。

とはいえ、泣いたり笑ったりが思いっきりできる人でもありたい。

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どの時点で医師に託すか、という判断基準を勉強するだけでこんなに大変。
実際に医師になるというのはすごいことだよなー。

人のお腹や内蔵を切るなんて、ほんとすごい。
むり。

わたし、知能指数高い人フェチ。