アウトライン化


最近夢をよく見る。

数年前、ブックファーストの宗教コーナーで知り合った子に、
「あなたはもっと深いところまで持ってるのに、はなすと表面しか出さない。自覚がそこまでしかできてない。もっと深さをしるべき」
というようなことを言われた。

場所柄、宗教的な啓示のように思われ警戒したが、今思うと心理学的なことのようにも思う。
エゴ、イド、超自我。

夢に出てくるのは、そんなようなものに妄想・幻覚が混ざった物。

妄想幻覚はネガティブだからちょっとめんどうだけど。

わたしにとっての幻想はネガティブなんだなー。
たのしいファンタジーワールドじゃないんだなー。

‥‥というような己のアウトライン化。

したいこと、どこまでが自分の意志で、どこからが人からの希望か、その折衷案はどこか。
できることはどこまでか、できるかもしれない度合い、そのへんの実感。

今してること。

限界を知るのはすごく辛いけどすごくきもちいいし発展的。

わたしの短期的な目的意識。

好きな人


好きな気持ちに憑かれて、自分が自分の魂から剥離していくこと。こわい。
まんじゅうこわい。

こわいけど、好き。
まんじゅう好き。

剥離したまんまになってる案件が、いまだに剥離状態のままで、
これ風化しつつも未来永劫剥離したまんまなんだろうなーとか。

そういう諦め。

自己表現欲求


絵を描くことも言葉を書くことも、それを好きな人はただそれだけで、夢中になって、それをしているのに、認めてほしくなったり金がほしくなったりすると、ただ書(描)きたいだけのものかいてるとダメで、認めてもらうための、金にするための作品を書(描)くようになる。それじゃ根っこの「書(描)くのが好き」ってのを後回しにしなきゃいけなくなって、やめたりする。

書(描)くのをやめさせるようなことをこそ、やめればいいんだよホントはね。
好きを後回しにした作品を認められても金もらっても、それはもうほしかったものじゃない。

どこにいても、どんな仕事してても、好きなら書(描)くし、好きじゃなくなったら書(描)かなくてよくなってラッキー。

執着しちゃうのは、これもひとつの依存だろうか。
それとも単純に好きなんだろうか。

とかまた考えすぎて本筋からズレる。

でもいい。

何事も作品は、本筋よりそれ以外の要素に魅力があってこそ、有機的な作品になるのだ。

会いたい人がたくさんいる。
こんな無駄話を夜通ししていたい人。

みんなが大好き。